エレファントカシマシ
伝説の一夜。 そう呼ばずして他に形容出来ない一夜。 エレファントカシマシ VS BRAHMAN もうね、この日に関してのことを記すとキリが無いくらい色々ある。 まず今回の周年イベントを構想し、 一番最初に電話したのがBRAHMAN・TOSHI-LOWだった。 地元出身でもあり当店のオープン時から知る 唯一の現役ロッカーはトシロウくらいじゃないかな。 俺に「お前より俺の方がライトハウスのこと知ってっから!」と言うくらいだ。 そんなわけねーだろ、、、と返しつつも、一理あるような。 とにかく、今回の周年イベントにはまずBRAHMANに出演して欲しかった。 トシロウとの最初の電話でエレカシを対バンにすることを話した。 実はその時点では決定した話ではなかったが、あえて己を鼓舞する為に言い切った。 トシロウも「対バン誰?バックホーンか?ムックか?」と言ってたくらいだ。 恐らく俺が対バンにエレカシを考えていたとは思ってもなかっただろう。 話は震災直後に時を戻す。 2011年4月5日、あの頃の様々な状況下にして、エレカシは当店でライブを開催した。 事務所社長、マネージャー、イベンター、そして俺、 毎日のように電話で開催の可否について話合い、最終的に開催を決めた。 あの日のライブは特に忘れない。 その少し前、同年3月25日、BRAHMANは当店から復興支援ライブをスタートさせた。 そのライブの開催をもってシーンの動きが少し変わったのを今でも覚えている。 その公演がエレカシの公演開催を遠回しに後押ししたような気もする。 4月5日、公演は素晴らしく、お客さんの大半が涙し、大きな愛の元に終了。 終演後、メンバー&スタッフが帰られた後も「俺は呑んで帰るよ」と 水戸に残ってくれたエレカシ事務所社長と俺は夜の酒場へ繰り出した。 乾杯を交わし暫くした頃、同じ店に偶然トシロウが居た。 聞けば復興支援ライブの東北公演からの戻りで寄ったそうだ。 俺を見つけたトシロウは「お、何やってんの?」と。 今日エレカシがライブをやってくれたこと、社長と呑みにきたことを伝えると、 「俺も一緒に呑みたい」と。そこから3人で呑んだ。 トシロウも喜んでいた。嬉しそうに。 この状況でエレカシが水戸でライブやってくれたって。 散々呑んだな。ボトル3、4本いったんじゃないか?とにかく良い酒だった。 その日交わした酒は忘れられないものとなった。 いつか、水戸で、BRAHMANとエレカシのブッキングするぞ!と勝手に思っていた。 3年半の月日は経ったものの変わらぬ想いを伝えて今回実現した。 日本全国に知れ渡ったであろう奇跡のライブハウスブッキングは、 実はそういう強い想いがあったのだ。 即完を予想出来た本公演のチケットは 全て小屋の店頭販売のみというやり方を選択した。 賛否両論あることは最初から解っていたが、俺がそうしたかった。 真冬の寒い中、綺麗に列を作り、 そしてマナーを持ってチケットを求め並んで下さった皆さんには改めて感謝。 ライブは正に伝説の一夜となった。 出順は直前までバンド側と話した結果BRAHMAN→エレファントカシマシで。 会場入りから楽屋での感じは予想以上に終始空気が張りつめていた。 公演が終わり、打ち上げへ。 今回、出演の唯一の条件に「打ち上げは絶対参加」的な一方的なお願いをしていた。 エレカシは基本打ち上げを行わないことは知っていた。 だからこそ尚更だ(笑)俺はトシロウと共に張り切った。 精算を終え俺が向かった頃には既に良い感じに。 で、結果、写真の通りですよ(笑)完全なるヘベレケ。 深〜い1日は酒も沁みたよ。極上の祝盃でした。 コレ、間違いない方程式なんだけど、 凄いバンドは呑み方も凄いのね(笑) 最後トドメに注がれた宮本さんからのワインの味は一生忘れないだろう。 ちなみに、 打ち上げ会場は2011年4月5日の夜に呑み交わした同じ場所にて。 メンバー、スタッフ、全関係者の皆様、 伝説の一夜を共にした御来場のお客さん、 有難うございました!感謝! ・・・ってか文章長っ!! |
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